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near my death

.18 2014 .+*ショートノベル*+. comment(0) trackback(0)
「ねえ、あんた、自分がいつ死ぬと思う?」
 考えたこともない、そう答えた。
「あたしはいつ死ぬかわかんないの、怖いなぁ。せめて教えてくれてたら楽だと思わない?」
 俺だったら頭抱えて部屋に籠ってしまいそうだ、そう返した。
「じゃあさじゃあさ、どんな死に方だったら良いと思う?」
 今日はやけに死について話したがるんだな、窓の外の景色を眺めた。
「昨日そういう小説読んでずっと気になってんだもん、しょうがないじゃん」
 どういう小説だ、頬杖をついた。
「主人公の大切な人が突然死ぬの。何も前触れがなかったのに、あっけなく、物語性のかけらもなく、通りすがりの通り魔に刺し殺されんの」
 通りすがりじゃない通り魔はいないだろ、ちゃんと聞いてなかった俺は返事に困った。
「でもさ、いつ死ぬか分かってたら、覚悟だって何だって出来たと思わない?」
 それが分かってたら別れたくもなるんじゃないのか、どうでも良いことのようにこぼした。
「あたしはそんな薄情な奴じゃないし、そんなことしないんだけど?」
 そりゃ済まなかったな、でも分かってても結局取り乱すのは同じなんじゃないか、興味が無いから投げ捨てるように言い放った。
「あんたが死んだらあたし、どんな顔すんのかなあ……」
 本当、どんな顔してくれるんだろうな。

「なんで今なんだろうな……」
 刺されて、ぼんやりとして行く意識で、アスファルトの上で、未だ流れない走馬灯を待つ。
 一緒に食べようと思ってたドーナツの出番は、無さそうだ。
 オリンピックじゃ同い年の男子が金メダルを取って、あんたはいつになったら何か意味のあることをしてくれんの? と親に言われる始末。
 そう、俺はまだ何にも為せてない。
 当たり前に小学校行って、中学上がって、嫌々高校受けて、あいつと逢って、二人で勉強して何とか大学受かって。
 どうせ使わない学問ばっか積んで、積み上げてきたモノを足蹴にすることすらままならないまま、俺は神様の手の中で揃った二枚みたく捨てられる。

 死にたいとか考えてた頃があった。
 あいつはそんな俺の真剣な考えを中二病だと一蹴した。
 そんなの覚える暇があるならコサインの二倍角の公式頭に叩き込めって怒られた。
 ただ俺は、あの頃は確かに、折れたシャー芯になりたいとか考えていた。
 四十本入りのシャー芯の中で、使ってすらもらえない芯がごくたまに存在する。折れたり、失くされたり。それがクラスの人数と凄く似通っていて、俺もそんな芯になりたいとか馬鹿げた思いを抱いていた、
 でもあいつといる内に、明日を心待ちにするようになった。
 今はまだ死ぬのは保留にするか、そんな考えが生まれた。
 そうしたらいつの間にか死ぬことなんて、思いもしないことになってしまった。
 死から目を背けて生きる奴と大差ない、生き方に。

「次の一段、用意されてなかった、ってか……?」
 踏み外して、真っ逆さま。
 けど、そうなるなら、もっとどん底にいる時にして欲しかった。
 今、幸せなんだ。もっと味わってたいんだ。
 だくだく血出しながら、俺が死に際に考えんのは、生きたいってことばっかだ。
 死んだらきっと考えるなんてことも無いだろうから、もっと思い出が欲しいとかも有り得ない。でも、生きてる頃の俺が、過去の自分が、望んだ分の幸せ掴まずに死ぬのは、嫌だ。
「この期に及んで中二的だな……俺は」
 まだ死にたくない。
 俺が死んだらあいつがどんな顔をするのか、そんなの今考える必要は無い。
 俺には明日があって、そこで俺とあいつは幸せに暮らしてる。
「こんなところで死ねるほど安い人生、送ってないんだよ……!」
 せめて意志だけでも、生きようと思っていられたなら。
 自分にどんなに死にたいと思った過去があっても、俺は死にたいと思う奴が死のうとしたら、止めにかかる。
 死ぬのが虚しいとか勿体無いとか悪いとか誰かを悲しませるとか、そんな理由じゃなく。
 死にたくないと一度でも思ってしまったなら、もう、そうしてしまって当然だから。
 言葉にするなら、偽善だとか独善だとかになるんだろう。
 幸せを知ってしまったんだ。幸せが来ることを、信じて疑えない人間になってしまった。
 頑張っても報われない人間に向かって、それはどんなに酷だろう。それでも、頑張ることで報われてしまった人は、そんな現実があるのだと、伝えずにはいられない。
 だってその先に幸せが無いなんて、決まってないのだから。
 だから俺もまた、最後までみっともなく、希望にすがりながら、生にしがみつく。
 生きたいと、願う。
 自分がいつ死ぬか、そんなものは、生きているうちに考えるようなことじゃないと、思うから。


死にたいと言っている人に死なないでと言うと、世の中にはそういう考えを持っている人がいて、それを邪魔する権利は無いし、どうやっても自分の考えは幸せなあなたには理解出来やしない、そんな返答を返してくることがたまにあります。
確かにそうなんでしょう。
自分ってものが見えれば見えるほど、その醜悪さとか嫌なところとか見えるわけで、自分を知る、なんて現代人に突きつけられる作業の中には、とんだものもあるわけです。
そこに倫理観とか理想論を掲げて踏み込むつもりはありません。
そりゃもちろん、ホームに飛び込みとか、そういうことをされたら帰りが遅くなって困るので、良くないとか現実的な話はありますけど、そんなの抜きにして、幸せってものがやって来ると、疑えない心が、幸せを知った身にはあるわけです。
寄り添うこと、受け入れること。それは現代になるにつれて現れた、やさしいアプローチの仕方。
けれど、暗い沼に今まさに片足を突っ込もうとしている人になまやさしいことを言ったってダメなわけで、そうした時、無理にでも手を引いてやる心が、それでも生きたいと願わなければならない心が要ると伝えなければならない思うのです。
生きることは辛いことだ、そうかもしれません。
幸せ者に不幸せな者の心は理解出来やしない、そうなのでしょう。
でも、幸せは訪れたんです。
一生涯で宇宙人に会える確率なんてほぼゼロみたいなものですが、地球上にはあまりにも多く幸せを見つけた人たちがいるわけです。
あなただけが幸せになれない、そんなはず、ないでしょう。

説教くさくなってしまいましたが、どうあっても生きることをやめてほしくはないし、やめたくはないと、俺は思っています。
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